独立前のシンガポールにおけるアート教育の重要な先駆者の一人。当時は中国からのアーティストたちがひとつのトレンドをつくったが、同時期にヨーロッパ のアーティストたちもシンガポールに来ていた。Richard Walker は 1923 年に来星し、 Government English schoolsのArt Masterを務めた。1937年からはArt Superintendent Singapore Schoolsで勤務し、Raffies Institutionで美術家の教師や関心のある生徒を対象に教 えた。翌年からは英語話者以外(主にマレー系の教師たち)にも教えている。なおイギリス の植民地学校では水彩画が美術の授業において主要な技術だった。なお Lim Cheng Hoe も Raffles Institutionでwalka の教えを受けている。
2019年10月
MM:Saya Aye (1872–1930)
ミャンマーのマンダレー出身の画家。ミャンマーの芸術史に大きな影響を与えた人物の1人。
幼少の頃より才能を見出され、12歳からアート教育を受ける。後にマンダレーの画家であり王室画家であったSaya Chone (1866–1917)に弟子入り。伝統的な絵画手法を学ぶが、師が西洋の技法の影響を受けていたころもあり、当人にもその影響が見られる。王室画家を夢見ていたが英国により王国は滅ぼされその夢は潰えた。初期の作品には、当時の王国の情景を記録するものも多い。後年には成功した画家として、ファミリービジネスも手がけた。
TH:Pratuang Emjaroen(1935 -) プラトゥアン・エームチャルーン
TH:Preecha Thaothong(1948 - )
TH:Tang Chang (Chang Sae-Tang) (1934-1990) ジャーン・セタン
チョンブリ生まれ、Pitchaya Yatikaram Temple Schoolで学ぶが第二次世界大戦により家庭の財政的に厳しくなったため退学、その後働きながら壁に絵をかいたり、家族や隣人を描き、そして肖像画を描く小さな店を出すに至る。その後水彩画での風景画を描き始める。友人でありアーティストのPratuang Emjaorenの家を描いた作品もある。
1950年代後半に抽象画を描き始めるが、タイの鑑賞者にはあまり受け入れられなかった。
1968年に詩集を自主出版し、絵とは異なり多くの注目を集める。
Silpakorn University やNational Exhibition of Artらのタイにおける主流派とは距離を置き、また自宅での展覧会開催を好み、自身の作品を売ることに否定的だった。